東京地裁初公判
秋葉原事件初公判、検察側「無視した者への復讐」
「秋葉原で人を殺します」。携帯サイトに犯行予告を書き込み、買い物客でにぎわう日曜日の雑踏にトラックで突っ込んだ惨劇から1年7か月余り。
わずか2分間に、17人を殺傷したとして殺人罪などに問われた元派遣社員・加藤智大(ともひろ)被告(27)の初公判が28日午前、東京地裁で始まった。「この場を借りておわびしたい」。被害者らに謝罪した加藤被告は自らの心の軌跡を、今後の公判でどこまで語るのか。一命を取り留めた被害者も、傍聴席から耳を傾けた。
午前10時。法廷に姿を現した加藤被告は、黒のスーツ姿で髪を短く刈り上げていた。逮捕当時と比べるとほおがこけ、顔面は蒼白(そうはく)。被告席に着く前に一度、足を止めて、遺族や被害者が座る席の方を向き、深々と頭を下げた。
◆「おわびしたい」◆
村山浩昭裁判長に名前を聞かれると「加藤智大です」とか細い声で答え、職業を問われると「無職です」と少し早口で答えた。
検察官が約10分間、起訴状を朗読した後、加藤被告は証言台の前に進んだ。
書面に目を落としながら、「まずは、この場を借りて遺族と被害者におわびをしたい。今回、多くの人が亡くなり、大変申し訳ありません」と謝罪。起訴事実を大筋で認めた上で、「せめてもの償いとして、私にできることは、どうしてこういう事件を起こしたのかを明らかにすることです。詳しい内容は後日、説明します」と述べた。
◆冒頭陳述で心の動き詳述◆
検察側は冒頭陳述で、加藤被告の心の動きを捜査段階での供述をもとに詳述した。
それによると、加藤被告は2003年3月に短大を卒業後、派遣社員として働く中、存在価値が認められず部品のように扱われていると不満を抱いた。
携帯電話の出会い系サイトで知り合った女性に自分の写真を送った途端、返事が来なくなったため容姿にも強い劣等感を抱き、06年頃から携帯サイトの掲示板に悩みを書き込み、慰めやアドバイスを受けていた。
しかし08年頃になると無意味な書き込みによる「荒らし行為」が殺到。唯一の居場所を奪われたと感じ、自分以外すべてが敵だと怒りを深めるようになった。
事件の3日前の08年6月5日には、職場で自分の作業着が見つからず、「辞めろと言われている」と思いこみ、この時、掲示板に辞める決意を書き込んだ。それでも反応はなく、「誰もまともに扱ってくれない」と怒りを爆発させ、「大きな事件」を起こして、自分を無視した者たちへの復讐(ふくしゅう)を考えた。
そして茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅などで9人が殺傷された事件(08年3月)や、仙台市で暴走したトラックが歩行者7人を死傷させた事件(05年4月)を思い浮かべ、日曜日に人が集まる秋葉原の歩行者天国で事件を起こすことを決意。警察に捕まれば「自分の人生は終わりだ」とも思ったが、「もう生きていても仕方がない」と自暴自棄になり、復讐の方が重要と思ったという。
犯行を決意した後も「誰かに止めてほしい」という気持ちがあり、犯行をほのめかす書き込みを繰り返したが、反応はなかった。秋葉原をトラックで走行中も人の多さに怖くなり、歩行者をはねることを3度もためらったという。
◆弁護側、仕事ぶり評価も◆
弁護側は冒頭陳述で、加藤被告が中学生時代は学級委員や合唱の指揮者を務め、短大卒業後に始めた警備会社のアルバイトでは、仕事ぶりが認められ人員配置も任されていたと主張。その上で、「彼がどのように育ち、どのような考え方をするようになったのか、という視点を持ってもらいたい」と訴えた。
よりどころとされた携帯サイトの掲示板については、数年前から1日に何度も書き込むようになり、過去には掲示板で知り合った人に会うため、青森から福岡まで車を走らせたこともあるとした。
一方、争点となっている加藤被告の責任能力については、弁護人の意見陳述で、「完全責任能力に疑いがある」と述べたが、弁護側冒頭陳述では全く言及しなかったことから、村山裁判長から「責任能力に触れなかったが、良いのか」と尋ねられる一幕もあった。
午前中の審理は午前11時30分ごろに終了し、加藤被告は閉廷時、村山裁判長と、遺族らが座る傍聴席に一礼して退廷した。
(2010年1月28日 読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100128-00000689-yom-soci
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はじめに
本件は、平成20年6月8日の日曜日、秋葉原のメーンストリートにおいて、歩行者天国が始まって間もない午後0時33分ころ、被告が2分間に合計18人に対して殺害行為に及び、7人の命を奪い、10人に重軽傷を負わせるなどしたという事案です。
第1 被告が犯行に及ぶことを決意した経緯
1 被告は15年3月、岐阜県内の短期大学を卒業した後、仙台市内の警備会社で働き、その後は派遣会社に登録し、派遣先の埼玉県内の自動車工場や栃木県内の木材加工工場で働きました。被告は派遣社員として働く中で、自分の存在価値が認められず、部品やパーツのように扱われていると感じて不満を抱くことがありました。そして、被告は18年8月ころ、加工工場での仕事を辞めてしまいました。被告は、それからしばらく定職に就くことができなかったので、将来に対して不安を抱くようになりました。
被告はそのころ、携帯電話の出会い系サイトで知り合ってメール交換していた女性が、被告を心配してくれたのをうれしく思い、交際して結婚すれば幸せになれるかもしれないと思いました。しかし、その女性に自分の顔写真をメールで送ると、とたんにメールが来なくなったことで、自己の容姿が不細工であると思うようになり、強いコンプレックスを抱くようになりました。こうして、就労状況が不安定であったこと、自分の容姿に対するコンプレックス、交際相手が見つけられないことなどに思い悩むようになり、18年ごろから、その悩みや苦しみを携帯電話サイトの掲示板に書き込むようになりました。
被告は、掲示板を読んだ人から慰めやアドバイスをもらえたり、さらには自分のことを大事に考えてくれる女性と知り合うことができて結婚できるかもしれないという期待を持っていたのです。掲示板は、被告にとって、不満の唯一のはけ口でした。掲示板への書き込みに対しては、被告の期待どおり、慰めやアドバイスなどの返事が書き込まれていました。
しかし、20年5月終わりころから、被告になりすました「偽物」や、無意味な書き込みをして読みにくくする「荒らし」が掲示板に頻発するなど、被告が悩みや苦しみを書き込んでも、それに対する返事として被告を思いやる書き込みがほとんどなくなりました。被告は「偽物」や「荒らし」のせいで自分の唯一の居場所がなくなり、自分の存在が殺されたと感じるようになりました。さらに、それまで慰めなどの書き込みをしてくれた人たちに対しても、自分のことを裏切り、無視していると感じました。自分以外の人すべてが敵だと思い、怒りを深めていき、「みんな死んでしまえ」と思うようになりました。
2 被告は、19年11月から派遣会社に登録し、静岡県裾野市の自動車製造工場に派遣され、自動車の塗装検査の仕事をしていましたが、20年5月28日、派遣会社の所長から、自動車工場への派遣が6月29日で終了すると告げられるとともに、新しい派遣先の紹介を受けました。
被告は、自らの意思に基づかずに仕事を変えるのは初めてだったので、自分は派遣先の工場から必要とされていないと思って、ショックを受けました。しかし、被告は6月3日、派遣会社の社員から、同月29日以降も引き続きその自動車工場での仕事を継続できると聞かされました。
すると、被告は喜ぶのではなく、工場がリストラしすぎて人手に困ったので、単なる人数合わせのために自分がその仕事を継続できるようになっただけだと受け取りました。自分はほかの人と交換可能な存在にすぎず、まともな存在とは認められていないと感じ、ますます自分以外の人に対する怒りを深めました。
3 被告は、同月5日の早朝、出勤して更衣室に行くとそこに置いていた作業着が見付かりませんでした。被告は、だれかが嫌がらせで自己の作業着を隠したと考え、「工場を辞めろ」と言われていると感じて激怒し、更衣室に掛かっていた作業着をすべて投げ捨てた上、手に持っていた缶コーヒーを壁に投げ付けて、更衣室を飛び出しました。そして、被告は仕事を辞める決意をして、寮に帰りました。
被告は、だれかが思いやりのある返事をしてくれることを期待して、掲示板にそうした出来事や工場を辞めることなどを書き込みました。しかし、それに対する慰めやアドバイスなどの思いやりのある反応はありませんでした。被告は、誰も自分をまともに扱ってくれないと思い、自分の悩みや苦しみが無視され、まともに受け取られないことが我慢できなくなりました。
被告はついに怒りを爆発させ、大きな事件を起こし、自分を無視した人や自分をまともに扱わなかった人に対し、自分の存在をアピールし、存在を認めさせようと思いました。さらに、大きな事件を起こすことで、その大きな事件の原因が自分を無視した人、自分をまともに扱わなかった人、「偽物」や「荒らし」にあると思わせて、復讐(ふくしゅう)したいと考えました。
被告には、大きな事件として、茨城県土浦市の駅で発生した、次々と人を刃物で刺し殺すなどした事件や、仙台市で発生した、商店街のアーケードにトラックで突っ込んで人をひき殺した事件が念頭にありました。被告は、秋葉原では日曜日の正午から中央通りが歩行者天国となり、普段よりもたくさんの人でにぎわうことを知っていました。そこで、次の日曜日である6月8日、人がたくさん集まる秋葉原の歩行者天国で通行人をトラックではね、続いて通行人をナイフで刺して無差別に次々と人を殺害する大きな事件を起こそうと決意しました。
被告は、そうした大きな事件を起こして警察に捕まれば、自分の人生は終わりだと思いました。しかし、被告は「もう生きていても仕方がない」と自暴自棄になり、捕まった後のことはどうでもいいと思いました。
つづき ↓
第2 犯行の準備状況
1 被告は、無差別殺人を決意すると、6月6日午前8時48分ごろ、「スローイングナイフを通販してみる 殺人ドールですよ」と掲示板に書き込み、また、同月6日午前2時48分ころ、掲示板に「やりたいこと…殺人/夢…ワイドショー独占」と書き込むなど、その犯行をほのめかす書き込みをしていきました。
一方で、だれかに止めてほしいという気持ちも抱いていました。しかし、被告の書き込みに対し、犯行を思いとどまるよう返事をする書きこみはありませんでした。
2 被告は、無差別殺人を実行するために、雑誌で見付けた福井市のミリタリーショップで殺傷能力の高いナイフなどを凶器として購入することにし、同月6日、ダガーナイフ1本、折りたたみ式ナイフ1本、ダイバーズナイフ1本、ユーティリティーナイフ3本、特殊警棒1本および滑り止めの手袋を3万4600円で購入しました。
3 また、被告は人をはねて殺害するために4トントラックを用意しようと思い、それを借りる資金を捻出(ねんしゅつ)するため、同月7日の朝、秋葉原に行き、ゲームソフトとパソコンを売却し、約7万円を手に入れました。そして、被告は同日昼ごろから、インターネットで調べたり、同日夕方に静岡県内のレンタカーの営業所を訪ねましたが、目当ての4トントラックを借りることができず、沼津市のレンタカー営業所で、2トントラックを、6月8日午前8時から借りる予約をしました。
4 こうして被告は、人を殺害するための準備を終えると、同月7日午後4時3分ころ、掲示板に「無事借りれた 準備完了だ」と書き込み、また、同日午後8時53分ころには、掲示板に「もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしてる」と書き込みました。
第3 被告が6月8日に秋葉原に向かった状況
被告は6月8日午前8時ごろ、沼津市のレンタカー営業所で2トントラックを借りました。
トラックを運転して、いったん寮に戻り、ダガーナイフ1本が入っている鞘をベルトの右腰辺りに付け、折りたたみ式ナイフ1本を着ていたジャケットの左内ポケットに入れ、鞘に入ったユーティリティーナイフ1本を右足の靴下に隠しました。
ほかの鞘に入ったユーティリティーナイフ1本と鞘入りのダイバーズナイフ1本もリュックサックの中に入れ、トラックの補助席の上に置きました。
その上で、トラックを運転して東京に向かい同日午前11時45分ごろ秋葉原に到着しました。その間、被告は掲示板に「時間だ 出かけよう」「神奈川に入って休憩」「ひどい渋滞 時間までに着くかしら」「秋葉原ついた」などと順次書き込んでいきました。
第4 犯行直前の状況
秋葉原の中央通りでは、毎週日曜日正午ごろから午後6時ごろまで、歩行者天国が実施されることになっていました。
その歩行者天国の区間内にある外神田3丁目交差点では、南北方向である中央通りの交通が規制され、自動車は通行できませんでした。しかし、交差点の東西方向である神田明神通りでは、信号機による交通整理が行われ、自動車はこれに従って通行が可能になっていました。
6月8日は交差点の南北の交通規制が同日午前11時50分ごろから午後0時10分ごろまでの間に完了し、中央通りの歩行者天国が始まりました。被告は、秋葉原に到着した後、同日午後0時10分ごろ、犯行を予告するためそれまで書き込みをしていた掲示板の記事のタイトルを「秋葉原で人を殺します」に書き換え、書き込みを「車をつっこんで、車がつかえなくなったらナイフを使います みんなさようなら」と書き換えた上、「時間です」と書き込み、無差別殺人を実行することを改めて決意しました。
当初の考えでは、トラックを運転して神田明神通りを西から東に向かって交差点に進入し、右折して中央通りの歩行者天国に突入して多数の人をはねた上、ダガーナイフなどで人を刺し殺すつもりでした。
被告はトラックを運転し神田明神通りを西から東に向かって交差点に差し掛かりました。対面信号は赤色でした。しかし、被告は、交差する中央通りの人通りがあまりに多かったために怖くなり、信号表示に従って交差点手前で停止し、対面信号が青色に変わるとそのまま直進していきました。
被告は、中央通りの歩行者天国にトラックで右折して突入するのを止め、赤信号を無視して交差点に進入して歩行者をはねて殺そうと思いました。
被告はJR山手線高架下の手前を右折、JR秋葉原駅前のロータリーを回り、神田明神通りを東から西に向かって交差点に差し掛かりました。しかし、被告はこのときも躊躇(ちゅうちょ)し、実行できませんでした。
さらに右左折を繰り返して戻り、神田明神通りを西から東に向かって、犯行現場の交差点に差し掛かりました。しかしこのときも躊躇してしまいました。
被告は3度も犯行に及ぶ機会を逃し、「やらなくてよかった」という気持ちと「何でやれないんだ」という気持ちを抱き、葛藤(かっとう)しながらも、山手線高架下の手前を左折し、左折や右折を繰り返して戻り、神日明神通りを西から東に走行して交差点に向かいました。
第6 犯行状況
被告は6月8日午後0時33分ごろ、交差点に向かって走行中、葛藤を打ち払い「今度こそ犯行に及ぶ」と強く決意し多数の通行人を殺害するため、トラックのアクセルを踏み、前方の車を追い抜きました。
そして、被告は多数の通行人が交差内を横断していることを認識しました。その中に、中村勝彦さん=当時(74)=、Aさん、川口隆裕さん=当時(19)=、Bさん、Cさんがいました。
被告はブレーキを踏むことなく、赤色の対面信号を無視しトラックを時速40数キロで走行させ、交差点に進入、横断歩道を歩いていた中村さん、Aさん、川口さん、BさんおよびCさんにトラックの前部を衝突させ、中村さん、Aさん、川口さんをはね飛ばしました。
被告は交差点をそのまま直進後、トラックを停止させました。
続いて、通行人をダガーナイフで次々と刺して殺害しようと考え、ズボンのベルトに固定していた鞘からナイフ1本を取り出しそれを右手に持って、トラックから降り、神田明神通りの車道を交差点に向かって走りました。被告は目についた通行人を殺害するためDさん、Eさん、Fさんを次々と刺していきました。交差点に入ってからも、△△さん、○○さん、Gさん、Hさん、松井満さん=当時(33)=を次々とナイフで刺していき、交差点南西の歩道にいた□□さんを切り付けました。さらに、中央通りの車道上を南に向かって走りながらJさん、Iさん、Kさんを次々とナイフで刺していきました。
犯行を秋葉原交番に勤務していた警察官の制服を着用した巡査部長が目撃、被告を追跡しました。巡査部長は被告がKさんを刺すのを目撃すると、殺人未遂の現行犯と認め、逮捕することにしました。
被告は中央通りから西に入る路地の手前の車道上で、巡査部長に追いつかれ向かい合いました。
巡査部長が自らを逮捕しようとしていることを認識しながら、巡査部長を殺害するためナイフで右胸を突き刺しました。しかし、巡査部長が対刃防護服を着ていたので刺さりませんでした。さらに巡査部長の上半身を目掛けて切り付けました。しかし、巡査部長が警棒で応戦したので切られずに済みました。被告は西に入った路地に追い詰められて制圧されKさんを被害者とする殺人未遂の現行犯で逮捕されました。
第7 各被害者の被害状況
中村さん、Aさん、川口さん、Bさん、Cさんの各被害状況について。中村さんらは、現場の交差点の北西角の歩道上に差し掛かり、信号が赤であったため信号待ちをしました。
5人は信号が青に変わると、北から南に向かって横断歩道を歩き始めました。BさんとCさんが前を歩きそのすぐ後ろをAさんと川口さんが歩いていました。
そのとき、被告が時速40数キロでトラックを交差点に進入。5人はトラックを避けることができず、はねられました。
川口さんは交差点の中央付近、Aさんは東側の横断歩道上、中村さんは交差点の北東角付近に飛ばされて倒れました。BさんとCさんは交差点内に倒れ込みました。中村さんは同日午後1時44分ごろ、搬送先の病院で右肺臓挫傷、胸部大動脈破裂および肝破裂により亡くなりました。
通りがかりの人たちも、Aさんと川口さんの救護に当たりましたが、Aさんは同日午後2時9分ごろ、搬送先の病院で骨盤骨折および脳挫傷により亡くなりました。
川口隆裕さん=当時(19)=は、同日午後2時15分ころ、搬送先の病院で、右側頭部後部打撲に基づく頭蓋底骨折による脳幹部損傷により亡くなりました。
Bさんは、全治約2週間の全身打撲、顔面打撲の傷害を負い、Cさんは加療約1週間の腰部打撲を負いました。
Dさん、Eさん、Fさんの各被害状況について。Dさんは、交差点の北東角にあるソフマップ秋葉原本館の南側の歩道を東に向かいました。
その途中、Dさんは、交差点方向からトラックが中村勝彦さん=当時(74)=たちをはねた大きな音を聞き、ソフマップ秋葉原本館の南東角の車道上に立ち止まり、交差点の方を見ていました。そこへ、被告がトラックから降りて走ってきて、Dさんは、背後から左背部をダガーナイフで1回刺されました。問もなく、Dさんは息苦しさを感じ、歩道上に座り込みました。
Dさんは救護を受け、病院に搬送され、一命を取り留めましたが、全治まで約6カ月間を要する傷害を負いました。
Eさんは、交差点で倒れているAさんたちに気付き、携帯電話で1l0番通報を試みた後、神田明神通りの車道をトラックが走り去った東の方に向かい、ソフマップ秋葉原本館1階のマクドナルドの前辺りに行きました。
そこへ、被告がEさんに向かって走ってきました。Eさんは、後ずさりしましたが、正面から、被告に、右胸部をダガーナイフで1回刺されました。
Eさんは、刺された箇所を両手で押さえながら、その場に倒れました。
Eさんは、通りがかりの人たちの救護を受けましたが、同日午後4時半ごろ、搬送先の病院で、失血により亡くなりました。
Fさんは、青色の対面信号に従い、交差点の東側の横断歩道を南から北に向かって横断しました。直後、トラックが神田明神通りを東に走り去り、Fさんは歩道を東に向かいました。
そこへ、被告がFさんに向かって走ってきました。Fさんは、振り返って逃げようとしましたが、背後から、左背部をダガーナイフで1回刺されました。Fさんは、歩道の方によろめいた後、車道に倒れました。
Fさんは、午後0時36分ごろ、携帯電話で119番通報し、「刺された。背中を刺された。息苦しい」と伝え、助けを求めました。Fさんは、通りがかりの人たちの救護を受けましたが、同日午後2時16分ごろ、搬送先の病院で、失血により亡くなりました。
△△さん、○○さん、Gさん、Hさん、松井満さんの各被害状況について。
△△さんは、神田明神通りを東から西に向かい、赤色の対面信号に従い、交差点の東側の停止線手前で、信号待ちをしました。
△△さんは、被告が中村勝彦さんたちをトラックではねるのを目撃しました。△△さんは、交差点東側の横断歩道上に倒れていたAさんの元に行き、しゃがみ込んでAさんの状態を確認しましたが、Aさんの反応がなかったため、東の方を向いて立ち上がりました。
その直後、△△さんは、走ってきた被告に、正面から右側胸部をダガーナイフで1回刺されました。
間もなく、△△さんは、その場に倒れました。
△△さんは、通りがかりの人たちの救護を受けた後、病院に搬送され、一命を取り留めましたが、全治まで約6カ月間を要する傷害を負いました。
○○さんは、交差点方向からトラックが中村さんたちをはねた大きな音を聞いて交差点に向かいました。○○さんは、中央付近で倒れていた川口さんのそばにしゃがみ、脈を測りました。そのとき、○○さんは気配を感じて立ち上がり、背中を東に向けた状態で、左肩越しに後ろを見ました。そこへ被告が走ってきました。その直後、○○さんは、背後から左背部をダガーナイフで1回刺されました。
○○さんは、走っていく被告の後を追うように動いた後、倒れました。○○さんは、救護を受けた後、病院に搬送され、一時は心肺停止の危険な状態になりましたが、一命を取り留めました。○○さんは、全治まで約3カ月間を要する傷害を負いました。
Gさんは、青色の信号に従い、交差点の東側の横断歩道を北から南に向かって横断しました。その直後、Gさんは、後方から、トラックで中村さんたちをはねた大きな音を聞き、交差点を見て、川口さんたちが倒れていることに気が付きました。
Gさんは、救護するため、倒れている川口さんの近くに行き、携帯電話で119番通報を試みましたが繋がりませんでした。間もなく、Gさんは、被告が○○さんの背部を刺す犯行を目撃しました。その直後、Gさんは、正面から、右下腹部をダガーナイフで1回刺されました。
Gさんは、その場に座り込みました。Gさんは、救護を受けた後、病院に搬送され、一命を取り留めましたが、全治まで約3カ月間を要する傷害を負いました。
Hさんは、中央通りを北から南に向かって歩き、交差点手前で信号待ちをした後、信号が青色に変わると横断歩道を北から南に向かって横断しました。
問もなく、Hさんは後方から、トラックで中村さんたちをはねた大きな音を聞きました。Hさんは川口さんが倒れていることに気付き、交差点の南側から倒れている川口さんの救護に向かおうとしました。
そこへ、被告が走ってきてHさんは、背後から右腰背部をダガーナイフで1回刺され、その場に倒れました。Hさんは、通りがかりの人たちの救護を受けた後、病院に搬送され、一命を取り留めましたが、全治期間不明の傷害を負いました。
松井満さん=当時(33)=は、交差点の南西付近に行きました。そこへ、被告が走ってきて、松井さんは、正面から下腹部をダガーナイフで1回刺され、その場にうずくまりました。
松井さんは、通りがかりの人たちの救護を受けましたが、同日午後5時32分ごろ、搬送先の病院で、失血により亡くなりました。
□□さんの被害状況について。□□さんは、中央通りの西側の歩道を北に向かって歩き、交差点に近づいていき、被告が中村さんたちをトラックではねたのを目撃し、交差点内の様子を見守っていました。間もなく、交差点南側に集まった群衆がいっせいに逃げ出したので、□□さんも、南方向に振り向いて逃げようと思い、右肩に下げていたリュックサックが落ちないよう、右腕を肩ぐらいの高さに上げ、南方向に振り向こうとしました。
このとき、被告は、□□さんを殺害するため、ダガーナイフを持った右手を振り上げ、これを振り下ろして切り付けました。□□さんは、そのダガーナイフで右前腕部を切られ、全治20日間の傷害を負いました。
Jさん、Iさん、Kさんの各被害状況について。Jさんは、中央通りを南から北に向かって歩き、交差点に近付いていきました。
Jさんは、前方からトラックで中村さんたちをはねた大きな音を聞いて、交差点に近づいていきました。すると、交差点の南側に集まっていた群衆がJさんに向かって走ってきました。
その直後、被告がJさんの方に走ってきました。Jさんは、正面から前胸部をダガーナイフで1回刺されました。Jさんは、そのまま中央通りの東側の車道上まで逃げて倒れ込みました。Jさんは、通りがかりの人たちの救護を受けましたが、同日午後2時18分ごろ、搬送先の病院で、失血により亡くなりました。
Iさんは、中央通りを南から北に向かって歩き、交差点に近付いていきました。Iさんは、被告が中村さんたちをトラックではねた犯行に遭遇し、その後の交差点の様子を見守っていました。問もなく、交差点の南側に集まっていた群衆がIさんの方に向かって走ってきたので、Iさんも南方向に向かって走って逃げました。そこへ、被告が走ってきて、Iさんは背後から、右背部をダガーナイフで1回刺されました。
Iさんは中央通りから路地に入って西に向かった後、倒れました。Iさんは救護を受け、病院に搬送され、一命を取り留めましたが、全治約2カ月間の傷害を負いました。
Kさんは、中央通りを南から北に向かって歩いていきました。Kさんは前方からトラックで中村さんたちをはねたときの大きな音を聞き、交差点に近付いていきました。すると、交差点の南側に集まっていた群衆がKさんの方に向かって走ってきたので、Kさんも南方向に向かって走って逃げました。
そこへ、被告が走ってきて、Kさんは背後から左背部をダガーナイフで1回刺されました。Kさんは、中央通りから西に入った路地まで行って倒れました。Kさんは救護を受け、一命を取り留めましたが、全治約2カ月間の傷害を負いました。
巡査部長の被害状況について。巡査部長は、警視庁万世橋警察署に勤務する警察官であり、秋葉原交番で勤務していました。巡査部長の被害状況については、先ほど述べたとおりです。
第8 争点について
1 本件の争点は、3つです。1つ目は、□□さんに対する殺人未遂罪における殺意の有無。2つ目は、巡査部長に対する公務執行妨害罪における公務性に対する被告の認識。3つ目は、各犯行時における被告の責任能力の有無及び程度です。
2 □□さんに対する殺人未遂罪における殺意の有無について。検察官は、ダガーナイフで切り付けられた□□さんに対する殺人未遂罪における殺意が認められることを主に3つの事実によって立証します。
1つ目は、被告が秋葉原の歩行者天国においてトラックで通行人をはねたり、ナイフで通行人を刺して無差別に人を殺害する事件を起こすことを決意し、犯行準備をした上で、これまで述べたとおり、不特定多数の通行人らに対する概括的殺意を持ち、他の不特定多数の通行人らに対して犯行に及んだのと同様、□□さんに対しても概括的殺意をもって犯行に及んだという事実を立証します。
2つ目は、被告が犯行に使用したダガーナイフが、刃体の長さ約12・3センチの殺傷能力十分の極めて鋭利な刃物であり、現実にも多数の被害者が殺害されたり、生命が危険な状態に追いやられたという事実です。
3つ目は、被告がこれまで述べたとおり、不特定多数の通行人に対する一連の犯行を連続的に敢行する中で、無抵抗の□□さんが右腕を肩くらいの高さに上げて振り向こうとしたとき、ダガーナイフを振り下ろして切りかかり、傷害を負わせたという事実です。これらの事実は、□□さんや目撃者の証言、そのほかの証拠により立証します。
3 巡査部長に対する公務執行妨害罪における公務性に対する被告の認識について。検察官は、巡査部長が警察官で職務執行中であることを被告が認識していたことを、主に3つの事実によって立証します。
1つ目は、巡査部長が当時、警察官の制服・制帽を着用し、拳銃などの装備をしており、その外見から、警察官であることが明らかであった事実です。
2つ目は、被告が、巡査部長に対し、ダガーナイフで巡査部長の胸の付近を複数回突き刺したほか、上半身めがけてダガーナイフで切り付けた際、巡査部長と正対するなどしてその姿を見ていたという事実です。
3つ目は、被告が、犯行当時、警察官としての巡査部長の行動や周囲の状況を的確に認識しつつ、ダガーナイフで突き刺したり、切り付けたりした後、観念してダガーナイフを落として逮捕に応じたという事実です。
これらの事実は、巡査部長や目撃者の証言、被告の供述やそのほかの証拠により、立証します。
4 各犯行時における被告の責任能力の有無及び程度について。検察官は、被告に完全責任能力が認められることを主に6つの事実により立証します。
1つ目は、起訴前に実施された精神鑑定の結果、被告には、何らの精神障害も認められなかったことです。
2つ目は、犯行に至る経緯や動機は、妄想などの了解不能で非現実的なものではなく、了解可能な現実的なものであったという事実です。
3つ目は、少なくとも事件の3日前から計画を立てて準備し、それに沿って各犯行に及んでおり、各犯行が、計画的で、一貫性・合目的性があるという事実です。
4つ目は、犯行直前まで自らの行動を掲示板に書き込むなどしていた上、犯行現場の交差点にトラックで何度か差し掛かったのに、直前に至るまで犯行を躊躇(ちゅうちょ)するなどしており、自己の行為の意味・性質の認識や違法性の意識などがあったという事実です。
5つ目は、思い通りにならないと暴力的な行動に出ることが従前からあり、犯行時の思考や行動は、被告の人格と異質なものではなかったという事実です。
6つ目は、幻覚・幻聴を含めて何らの精神障害も認められない上、その知能程度はむしろ高水準にあったという事実です。
これらの事実は、精神科医の鑑定書やその証言、被告の犯行前の行動を裏付ける証拠、供述などによって立証します。
第9 重視すべき情状事実について
検察官は、被告の量刑を決めるに当たり、特に重視すべき情状事実として、主に6つの事実を立証します。
1つ目として、罪質が凶悪極まりないことを根拠付ける事実として、犯行が日曜日の昼間、多数の人が集まる歩行者天国において、多数の通行人を無差別に殺害し、又は殺害しようとしたものであることを立証します。
2つ目として、犯行態様が極めて残虐であることを根拠付ける事実として、被告は、赤信号を無視し、多数の人が安全と考えている横断歩道付近にトラックを突入させて5人の通行人に衝突させ、引き続き、歩行者天国となっていた道路などを歩いていた12人に対し、無差別にダガーナイフで突き刺すなどし、さらに被告を逮捕しようとした警察官に対しても、胸部を突き刺すなどしたことを立証します。
3つ目として、結果があまりにも重大であることを根拠付ける事実として、犯行により、7人もの尊い命が奪われ、1カ月以上の傷害を負った7人を含め、10人もが重軽傷を負ったという事実を立証します。
4つ目として、被害感情が峻烈(しゅんれつ)であることを根拠付ける事実として、死亡した被害者7人の遺族がいずれも死刑を望んでいること、被害者の被害感情・処罰感情も極めて厳しいことを立証します。
5つ目として、動機に酌量の余地が全くないことを根拠付ける事実として、被告が自己中心的で身勝手な思考の下、自己と無関係な多数の第三者を無差別に殺害する計画を立て、それを実行したものであることを立証します。
6つ目として、社会に与えた衝撃が極めて大きいことを根拠付ける事実として、犯行が報道機関に大きく報道されるなど、社会を震かんさせた事案であり、一般予防の見地からも厳罰が望まれることなどを立証します。
(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100128/trl1001281605018-n1.htm
この事件で明らかにされないといけないことは3つあります。1つめは、彼がなぜこの事件を起こしたかということ。2つめは、彼が事件で何をしたのかということ。そして、3つめは彼にどのような責任をとらせるか、ということです。
彼が事件で何をしたのかは、検察官が法廷で明らかにするものです。彼の責任は審理が終わった後、裁判所に判断していただくものです。そして、弁護人は、彼がなぜこの事件を起こしたのかについて、明らかにしたいと思います。
まず、彼の生い立ちについてです。彼は青森市内で労働金庫に勤める父と、母の間に生まれました。3つ下に弟がいて、父は市内に一軒家を購入し、家族4人で生活していました。彼は子供のころから、人一倍、車が好きでした。小学校では4年、5年生で将棋クラブ。6年のときは陸上部に入り、県大会にも出場しました。中学でも3年間ソフトテニスをやっていました。
中学校でも成績優秀で、学級委員や合唱コンクールの指揮者も務めました。高校は県内一の進学校に進み、放課後は友達の家に行って過ごすなどしました。高校の友達とは、就職して青森を離れた後もつきあっていました。
高校卒業後は、将来車の仕事に就きたいと考え、岐阜県の自動車短期大学に進学しました。短大時代は、バイクでツーリングしたこともあります。高校の友達ともメールでやりとりして、一人暮らしの友人の家に遊びに行ったこともあります。
短大卒業後は、仙台の警備会社に就職しました。最初はアルバイトでしたが、仕事ぶりが認められ、警備員の配置などを任せられるようになり、正社員に昇格しました。その後も埼玉の自動車工場や青森の運送会社に勤務しました。運送会社では、小学校の給食に出される牛乳を運んでいました。仕事ぶりはまじめで、無断欠勤などはありませんでした。その後、彼は静岡の自動車工場で塗装の仕事をしていました。
彼の交友は高校の友達だけではありません。同僚と居酒屋に行ったりカラオケに行ったり、東京に遊びに行くこともありました。趣味は運転で同僚を誘い、ドライブやカート場でレースすることもありました。これが彼の生い立ちです。これまで事件を起こすようなことは決してありませんでした。また、極悪非道な人生を送ってきたわけでもありません。では、彼がなぜこの事件を起こしたのか。2つの視点で考える必要があると思います。
まず、1つめはこれまで述べた彼の生い立ちを通して、彼がどのように育ち、どのようなものの考え方をしていたのか、ということです。そして2つめ。彼にとって掲示板とは何なのか、ということです。彼は数年前から、携帯電話の掲示板サイトを利用するようになりました。最初は人の書き込みを見ていましたが、いつの間にか自分でも書き込むようになりました。書き込みは毎日になり、1日に何度も書き込むようになりました。
掲示板を通して知り合った人と会ったこともあります。青森から福岡まで、車に乗って訪ねました。掲示板サイトは、彼の生活の重要な一部になっていました。彼がどのように掲示板を利用していたのか、どういう存在だったのかを解明しなければ、動機を明らかにすることはできないと考えます。
彼はこの事件を起こしてから、『なぜ事件を起こしてしまったのか』と必死に考えています。どうか彼の話を聞くときは、先ほど述べた2点に着目して、話を聞いていただきたいと思います。以上です。
(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100128/trl1001281720022-n1.htm
タグ:加藤智大 秋葉原無差別殺傷事件

「どうして今回の事件を起こしたのか明らかにすること」
だと言っているようですね。
確かにそれが知りたいところ。
責任能力に問題もないし、個々の被害者に関る詳細の争いはあっても、
ほとんど争うこともない。
弁護人は死刑回避を求めるだろうけど。
被害者が多いことから公判は長くなるかもしれませんが、
加藤しだいで一審で結審するかもしれませんね。
ついに始まりましたね。
この事件があった日、私は神保町の書店街から、秋葉原へ向け散策しておりました。
夕方の5時くらいに秋葉原へつくと、歩行者天国は規制線が張り巡らされ、閑散(とはいえ、沿道にはたくさん人がいましたが)としており、「テレビのロケか何かか?」と思ってました。
ところが、帰宅後、ネットのニュースでこの事件を知り戦慄を覚えたことを思い出します。
メディアは「被告がなぜ事件を起こしたのかを明確にせよ」といっています。その言に裏がないのなら、素直に受け取りますが、そこは偽善の巣窟・マスゴミ。
きゃつらのいう「動機を」云々は「減刑の材料を探せ」に過ぎません。もっとも弁護側はもっと露骨ですがね。
無論、動機は解明せねばなりませんが、それが減刑理由の材料探しになっては断じてなりません。被告人には死あるのみ。
隆太さん
こんばんは。
隆太さん、事件当日近くに居たとはぞっとしますね。
これも運命の境なのでしょうか。
社会を震撼させた秋葉原事件も、やっと公判に至りました。
被害者の方が多いこともあり、裁判は長期化すると思われますが、
完全責任能力ありとすれば、特に争点となる大きな問題はないと思われ、
関心は、なぜこの事件は起きたのかということになってくるでしょうね。
加藤の犯罪心理を関心をもって追っていきたいと思います。
加藤本人も死刑は覚悟の上でしょうし、たとえ酌量の余地があったとしても、
死刑回避に至るまでのものではない。
減刑は有り得ず、極刑あるのみです。
神様を殺せば、東日本大震災の比ではない災禍が
世界を覆い尽くすでしょう。
あの震災は加藤神様からの最後の警告なのです。